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懐中時計講座・第6回 AMERICAN WALTHAM WATCH CO.

懐中時計講座

(公開日: 2009/11/27)

第6回 AMERICAN WALTHAM WATCH CO.アメリカンウォルサムウォッチカンパニー

ウォルサムという名には「昔のいい時計メーカー」という響きがある。

どこでその名を知ったのか覚えていないが、時計に興味を持つ以前からそんな印象があった。

このことをあらためて考えてみると「ウォルサム」は私の世代の人間にまでその名を伝えられた時計メーカーということである。

ウォルサムはアメリカの時計メーカーというだけでなく、アメリカの時計産業の発展を考える上でも重要な位置を占めている。

19世紀半ばにさしかかるころ誕生したウォルサムの前身の組織(Howard, Davis & Dennison〜)は近代的なムーブメントを開発し、その後の時計に大きな影響を与えた。複雑時計の構造に一般の時計ファンが驚愕の目を見張るが、実用時計のシステムに関しては全くといっていいほど無関心である。

確かに使用している時に目に見える派手さはないが、精度、耐久性に関してアメリカのムーブメントに勝るシステムはないだろう。

その合理的でかつ美しい仕上げは現代では再現不能なものといってよい。しかもアメリカのメーカーはそのムーブメントの量産に成功したのである。

1850年9月 “Howard, Davis & Dennison” はマサチューセッツ、ロクスベリーに設立された。これがウォルサムの前身である。

1851年 “American Horologe Company” となり同年 “Warren Manufacturing Company” と名前を変更、この時までに作られた時計は989個、ムーブメントに記された名は”Howard, Davis & Dennison” “Warren” “Samuel Curtis” である。1853年 “Boston Watch Company” となり、1854年に工場をマサチューセッツのウォルサムに建設、ここで制作されたムーヴメントのシリアルナンバーは、1001から5000までで機種名は “Dennison, Howard & Davis” “C.T Parker” “P.S Bartlett” である。

この”Boston Watch Company”は1857年にローヤル.E.ロビンスに売却される。同年5月ロビンスは “Tracy, Baker & Co.” を設立、同年6月社名を “Appleton, Tracy & Co.” とし、シリアルナンバー5001から14000のムーブメントを制作した。

この時作られた著名なモデルが「1857」である。このムーブメントはアメリカで最初の鉄道時計となった(採用は1866年から)。

ダイヤルに “Pennsylvania Railroad” と記された15石のムーブメントのものである。

その後、1859年にWaltham Improvement Co. と合併し、”American Watch Company” となる。

この”American Watch Company. Waltham, Mass.” の期間は長く、1885年に現在一般に「ウォルサム」といわれている”American Waltham Watch Co.”となった。

ウォルサムの創設に関わったハワードとデニソンは、新しい時計の機械のシステムを生み出すことに賭けていた。

彼らの開発したシステムはその後アメリカのムーブメントの基本となる。

ハワードはこの後ウォルサムと袂を分かち独自のブランドを設立し(1858年)、デニソンは一線を退くが、ウォルサムはアメリカ初の大手時計メーカーとして不動の地位を確立してゆく。

1862年にはニューハンプシャーのナシュアウォッチカンパニーを傘下におさめた。

ナシュアはアメリカ国内では初めて本格的な3/4プレートのハイグレードムーブメントを開発製作したメーカーである。

ウォルサムはこのメーカーを独立した部門として扱った。20サイズの1862鍵巻きモデルはこの部門によって製作されたものである。

1863年には 16、10サイズのムーブメントを開発、65年にセイフティピニオン(カナが軸にネジでセットされているシステム。

これによってゼンマイ切れなどの際の歯車、カナの損傷を避けられる)、73年に6、8サイズを開発、1883年にはブレゲヘアスプリング(巻き上げヒゲ)を製作、1885年にはペンダントセット(リューズを引き上げて針合わせをするシステム)の採用を始める。

このようにウォルサムは正確で壊れにくく使いやすい時計の技術開発や採用を怠りなく進めたメーカーである。

ムーブメントの小型化はアメリカの女性の時計携帯に大きな影響を与えたことは想像に難くない。このように新しい市場の開拓をウォルサムは他社に先駆けて行なった。

1880年までのウォルサムの総生産量は1,500,000台である。

これはハワードが15石以上の高級機種のみを製作し、それ以外のクレードを顧みることがなかったのと対照的である(ちなみにハワードの1880年までの総生産量は50,000台)。

このメーカーとしての方向性の違いは後年時計の需要が大きくなるにつれて顕著になる。

1900年までに 90,000,000台を生産したウォルサムに対してハワードは100,000台に過ぎない。

このことはウォルサムが決してある特定の階級にのみ時計を売ろうとした訳ではないことを示している。

ただ、当時時計はいかに6石7石であっても廉価ではなかった。

それは実際に1860、70年代のそのグレードのムーブメントを見てみれば分かる。

驚くほど部品の仕上げがいい。

比較的良いコンディションのもので適切なリペアを施したものであれば十分今日でも実用に足るものである。それを考えると15石以上のモデルは本当に一部の豊かな人々のものであったことがわかる。

ウォルサムはそうした階層以外の人々の需要に応える時計を多く作ることを考えたメーカーだった。

いくつかのグレードを作り、予算に見合ったものが購入できるように価格を設定したと思われる。

ウォルサムの初期の宣伝文句は”ハイテク”である。

「機械製作による精度の高い部品を熟練工が組み上げ調整、仕上げをしたムーブメント」が売り文句であった。

ヨーロッパの時計と一線を画したのは「技術革新」と言っていい。

ウォルサムはこのことを自国の消費者に訴え、成功したのである。

後年いくどかの買収や経営体制の変化がありながら、かくも長きにわたって時計メーカーとして「良い時計」のブランドネームを維持できたのは、この創業から約30年程の間に破竹の勢いで自国を世界の時計産業のトップに押し上げたアメリカンウォッチメーカーの旗頭だったからだろう。

1860年代から今世紀初頭までに、ウォルサムは実に数多くの著名なモデルを生み出している。

サイズ別に紹介するが、紙面の都合でこれは一部であることを留意していただきたい(またここでは比較的入手可能なものを中心にあげた。)

【18サイズ】

●P.Sバートレット/ アプレトントレイシー&Co.(モデル1857)7〜15石鍵巻き。

このモデルには一体型テンプのものと、チラネジ付きの切りテンプのものがある。

●Wm.エレリー(モデル1857、1877、1883) 7〜15石

カギ巻き、リューズ巻き両方あり。7石のモデル”1857”には針合わせが裏から出来るモデルがある。

●バンガード 17〜23石

このモデルはすべてハイグレード。金枠ネジ止め、5姿勢調整。

ワインディングインジケーター付きモデルがあるが稀少。

●クレセントストリート(モデル1870,1883,1892,1899)15〜21石

モデル1883にはノンマグネティックモデル、ムーブメントツートーン仕上げが ある。

またモデル1892にはワインディングインジケーター付きモデルがある。

【16サイズ】

●バンガード 19石〜23石

19石、23石はレイルロードアプルーブメント(公認鉄道時計)。それぞれにペンダントセット(竜頭合わせ)、ハンターケースモデルがある。

21石、23 石にはワインディングインジケータモデルがある。

リバーサイドマキシマ(モデル1888,1899,1908) 21〜23石、レイルロードアプルーブ。23石にはワインディングインジケーター付きモデルがある。

アメリカンポケットウォッチの16サイズハイグレードモデルの代表機種。

人気が高く、ダイヤル、ケース、ムーブメントがオリジナルでコンディションの良い物は入手が難しい。

12、10、6、0サイズもある(0サイズは21石まで)。

●ローヤル(モデル1872,1888,1899) 15〜17石

17石には3〜5姿勢調整のハイグレードモデルがある。

●クレセントストリート(モデル1899、1908) 19〜21石

21石はレイルロードアプルーブ。

●アプレトントレイシー& Co.(モデル1857)

●P.Sバートレット (モデル1883)

●ローヤル (モデル1888)

●リバーサイド (モデル1899 or 1908)

●ボール=ウォルサムコマーシャルスタンダード 16石



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