懐中時計講座 ウォルサムバンガード懐中時計
Model 1889 or Model 1908 16Size
ウォルサム 16サイズ ハイグレードラインの代表モデル
石数は19J〜23Jまであり、全てがハイグレード仕様。
最上級モデルの23Jでは香箱にまで石を使用し、インジケーター(ゼンマイ残量表示)機能をもつものも存在する。
オープンフェイス・ハンターケースの2つの仕様があり、時間合わせはレバーセット、ペンダントセットの2種類。
公認鉄道時計として認定されるのはレバーセットによる時間合わせでオープンフェイス(全面の蓋無し)となる。
19J以上から公認鉄道時計として認定されることからもバンガードはモデル全体として高品質なことがわかる。
ハンターケース(前面の蓋付きケース)、ペンダントセット(リュウズを引くことにより時間合わせを行う仕様)
の為、一般向けとなるわけだが、ムーブメントのグレードは公認鉄道時計と同等であり、信頼性が高い。
高い精度維持のために各所にさまざまな工夫と贅を凝らした作りを部品ごとに注目してみよう。
テンプ周りだけに注目しても多くの目を見張る点が存在する
「巻き上げヒゲ」(オーバーコイル ヘアスプリング)
振り角の大小による重心移動をヒゲゼンマイの
外端カーブによって解消し、優秀な等時性を持つ。
ブレゲが考案したことからブレゲヒゲとも呼ばれる。
「バイメタル天輪」(温度補正天輪)
天輪の材質を鉄と真鍮の二重構造にし、
更に切れ目を入れることで温度差による歩度の変化を補正する。
気温上昇 → 切れ目が中心側に入る → 進み(遅れを補正)
気温下降 → 切れ目が外側に出る → 遅れ(進みを補正)
「金チラネジ」(GOLDスクリュー)
天輪本体の鉄と真鍮よりも比重の重い金のネジを使用し、より外側に重心を持っていくことにより慣性を強くし等時性を高める。
「ミーンタイムスクリュー」
対になったネジを出し入れすることにより遅れ進みの調整や姿勢差の調整を、より厳密に行うことができる。
「ダブルローラー」(大つば、小つば)
確実に安全にアンクルとテンプが動作。(これ以前のシングルローラーは誤動作を起こしやすかった)
「緩急針微調整装置」(スワンネック)
ネジを回すことにより秒単位の調整が可能。
これも公認鉄道時計の必須事項である。
テンプ周りについてだけでも、これだけ多くの工夫と贅を凝らした作りをしている。
いかに、このバンガードが精度追求の為に手間を惜しまず堅実な作りをしているか
わかっていただけたことと思う。
次に23Jならではの香箱内の石について注目してみる。
まずは一般的である石の使われていない香箱をご覧頂きたい。
左の写真は香箱芯に石を使っていない仕様の香箱
香箱の中心には穴が開いているだけなのがわかる。
次にバンガード23Jの香箱を見ていただきたい。
表面の仕上げや歯先の面取りなども注目すべき点だが
最大の特色は中心に透明なサファイアが使われいていることである。
香箱芯は、上下にそれぞれ分かれる設計となっており、それらを香箱の上下の石を挟むようにして組み立てる設計となっている。
香箱とは動力源であるゼンマイが詰め込まれた部品である。
強い力が働くところから、少々の抵抗があっても動くという印象を持ち、石が入る必要は特にないと考える人も多くいるようだ。
しかし、実際は時計の動力の始まりであり、安定したトルクを発生する為には、どこよりもスムーズに動く必要がある部分である。
本来は一番石を使って欲しい部分なのだが、コスト的な問題か極一部のモデルを除いて採用されていることは少ない。
香箱芯や軸受けはゼンマイの強い力を受け、常に大きな側圧がかかり、長年の動作による摩耗で穴が広がりやすい部分である。
穴の広がった香箱はゼンマイを巻くことにより傾き、動力に大きなロスを生じる。
よく耳にする全巻きにした時計が止まったなどといった場合の多くは、香箱の穴の広がりが限界まで達し、香箱が斜めに傾くことによって、2番車や受け・地板に擦っていることが原因で起こっている。 (石が使われていない香箱は、香箱芯の仕上げ直し・穴詰めと穴の仕上げをすることにより処置できる)
このバンガードのように軸受けに石が使用されている香箱は香箱芯もサファイアも摩耗が少なく動力伝達もスムーズで、非常に効果的といえる。
次に受けや地板、輪列などの各仕上げに注目してみる。
各軸にゴールドのシャトン(金枠)で留められたルビー
この時代ではルビーの加工精度も良いことから、受けや軸に単なる圧入でルビーをセットしているものも多く存在する。
このバンガードは、あえて何工程も多く手間をかけ、ルビーを取り付けており、表面の美しい仕上げと共に、視覚的にもハイグレード品らしい豪華な作りとなっている。
更にガンギとアンクルの上下には伏せ石が取り付けられている。
これはより微少な力で歯車が回転しうる為で、時計の最も重要な部分である天芯と同様の扱いとなっている。
受けの全て取り外した状態の輪列
一番大きな香箱から動力が始まり、中心の2番車(分針)、3番車、4番車(秒針)、ガンギ車、アンクルと続く。
2番車は公認鉄道時計必須のゴールドトレイン(金歯車)であることが確認できる。
また地板の仕上げにも注目してみると、受けの仕上げに劣らない
美しい模様で仕上げが施されている。
地板とは組み立てた状態では受けが乗ることから見えない部分である。
このような部分にまで仕上げていることは驚愕に値するといえよう。
輪列を横から見た写真
各歯車とカナはそれぞれに噛み合いゼンマイの動力を伝えていくのがわかる。
この歯車の工作精度も時計の性能に大きく関係し、高品質な工作機械で製作された歯車によって安定したトルクをテンプまで伝達することができる。
輪列を拡大した写真
歯車で一番力のかかる2番車には金を使い歯先の表面を鏡面にすることによって、よりスムーズな力の伝達に成功している。
また、中心から伸びる5本のアームは面取りを施され、視覚的に美しいだけではなく、強度を増し歯車の重量を軽くするという役割をも果たしている。
2番車の対比
左側が今回のバンガードで採用されているゴールドトレイン
右側が真鍮仕様の2番車。
歯車の仕様がグレードを明確に分けている。
文字板側地板
当然のことながら、文字板をはずした下の見えない部分である地板も手抜きなく仕上げられている。
軸受けのシャトンも、受けと同様の仕様で取り付けられていることが確認できる。
文字板側の天芯付近を拡大した図
左側に2対のプラス溝のネジがあるが、これはアンクルのドテピンを裏から見た状態である。
このドテピンは変芯ネジになっており、回すことによりアンクルの振り幅をドテピンを曲げることなく調整できる。
多くのスイス製が固定しているドテピンを斜めに曲げることよって調整するのに対し、このように確実に正確に調整できるシステムを採用している。
テンプ受けの拡大
表面がカットされていることからわかるとおり、テンプに使用している伏せ石は上下ともにダイヤモンドである。(ダイヤモンドエンドストーン)
ダイヤモンドは地球上で一番固く、時計の伏せ石に最も適しているが、加工の難しさから一部の上級モデルにしか採用されない。
このバンガードはその贅沢な仕様を採用している。
ムーブメントを横から見た写真
地板や受けの厚さにも注目すべき点がある。
地板・受け共に非常に厚く作られている。
しかも、多くのスイス製のように真鍮にニッケルメッキではなく、ニッケル無垢でできているのである。
当時としても非常にコストがかかる仕様であったと考えられる。
長きに渡る信頼性の確立と充分な強度を保つ為に、材料を使い、歯車も厚く丈夫に作られいる。
これだけ堅牢な作りならば長い年月を経過しても再び整備を行うことにより性能を取り戻し、安心して日常の時計として活躍できる。
ここまで見ていただければ、表面だけの仕上げではなく、見えないところまで仕上げられ、手を抜かずに丁寧に作られており、材料も惜しげもなく使われていることがおわかりいただけただろうか。
シンプルなタイムオンリーの機械だが各部品に注目してみると、語りつくすことのできない多くの魅力に溢れている。
これは余談であるがアメリカ製の懐中時計はダブルサンクという
陶器製文字板でも立体的なものをよく見かけることがある。
これは外周と中心とスモールセコンドの3つがそれぞれ別々に作られており一枚で構成されている文字板よりも手間がかかり、当然高価である。
このような一見見落としがちな部分だが注目する点が多く存在する。
左の写真を見ると文字板が3つの板によって構成されていることがわかる。
ムーブメントに入る文字板の足が3本なのもアメリカ製ならでは。
今の機械式時計が高級品であることとは、比べ物にならないくらい時計そのものが高価な時代である。
ウォルサムの時計は、いかなるモデルでも特別な存在の時計であった。
バンガードは、その中でも当時のトップグレードモデルの一つである。
いわゆるアメリカウォルサムは1957年に廃業しており、現在はスイス時計メーカーとして引き継がれているが残念ながら、この品質を受け継ぐ作りはされていない。
その為、このバンガードのような名品であっても未だ正当な評価をされておらず、満足感の高いものを比較的手頃な価格で入手できる。
これは、ある意味当時の人々より恵まれている環境だといえよう。
これを見ていただいた諸氏は市場の偏見をなくし本当に良い作りとは何であるかわかっていただけると思う。
これからアメリカ製の時計、ウォルサムをもう一度見直してみてはどうだろう。