時計の話
NOTICE:This article written in Japanese.
こんにちは。パスタイムの中島です。
今回は、アンティークの「鎖引き」懐中時計に使われている「フュジー」についてお話し致しましょう。
まず始めに。
「フュジー」とは一口に言うと、、、機械式時計の動力であるゼンマイ(Mainspring)の力を、出来る限り均等化して歯車に伝えるために使用される装置です(全然一口ではありませんが、、)。
何故このような装置が必要かというと、、、、ゼンマイのトルク(力)は「巻き上げらている度合い」によって異なる、つまりその反発力が平均していないためです。
カギ巻きにしろリュウズ巻きにしろ、機械式時計のゼンマイを巻き上げたことのある方にはお解りだと思いますが、ゼンマイはその巻上げ始めから終わりに向かうにつれ段々と抵抗が強くなってゆきますね。
これは、巻き上げの動作が進んでゼンマイがその入れ物である「香箱」の芯である「香箱芯」に巻きついてゆくにつれ、元々の「緩やかなカーブ」から段々に「急カーブ」を描いて丸まっていかなければならないからです。
一番きつく香箱芯に巻きついた状態の時(ゼンマイを完全に巻き終えた時)、ゼンマイのトルクは最大になりますが、時計が動き出してから時間が経ってゆくにつれゼンマイは解けて行き、そのトルクは弱くなってゆきます。
ちなみにこの「トルク変動」は、ゼンマイの厚みが厚く、長さが短くなればなるほど強調されたものになりますが、フュジーの搭載が一般的であった16世紀〜19世紀後期頃の時計の多くにはそういったゼンマイが使用されていて、この傾向は年代が古いものになればなるほどほど顕著です。
一方で、動力にゼンマイが採用され始めた15世紀頃の機械式時計はいわゆる「バージ脱進機・または冠型脱進機」の時計ですが、これらの時計にはいわゆる「等時性」がありません。
つまり、「動力の変化」が時計の「進み・遅れ」に直接影響を与えるタイプの時計で、、、これは、17世紀後期に「ヒゲぜんまい」が発案・採用されるようになるまでの「ヒゲゼンマイ無しの時計」においては特に顕著だった訳です。
つまり、これらの時計を「時間の合う時計」にするためには、歯車を通して脱進機に伝わるゼンマイの力を極力「平均化」する必要があった訳ですね。
ここで登場したのが「フュジー」と「スタックフリード」という2つのシステムですが、これらは全く設計の異なるものですし、主に16世紀に製造されたドイツ時計にしか見ることのない「スタックフリード」に関してはいずれ別の機会にお話し致します。
さてこのフュジー(fusee)、その語源はラテン語のfusata「ネジ切りされたスピンドル」といった意味のようですが、、、まさにそのままですね。
残念ながらその起源や発明者に関してはハッキリしていないのですが、、「現存する最古のゼンマイ式時計(クロック)」と言われている俗称Burgundy clock(1430年頃製造)にはフュジーが搭載されています。
その後、16世紀に入ってから懐中時計が登場すると主にフランス製のものに普通に採用され、その後イギリスやスイスその他、ドイツ以外のヨーロッパで普及してゆきますが、、、、残念ながら懐中時計に関して言えば20世紀初頭のイギリス時計を最後にその歴史を終えます。
次に、フュジーの構造をお見せします。
初期のフュジーの構造部品は大まかに分けると、螺旋状の溝・最下部にラチェット型の歯を持つ円錐状の「スピンドル部分」と、その下側に合体する「歯車部分」に分けられます。
スピンドル部分の中心には「鋼のシャフト」が貫通しており、その一方の先端は四角柱のポストになっています。
カギ巻きの懐中時計のゼンマイを巻き上げる際、鍵を差し込んでグリグリ回す、あの四角い棒の部分ですね。
また、このスピンドル部分の最上部には「カタツムリ型の鋼のツメ」が付いていますが、このツメはゼンマイの巻き終わりを規制する為に必要な物で、「フュジーストップ」と呼ばれ、この他にも色々な形状のものがあります。
歯車部分の中央には、スピンドルの軸が通過する穴が開いている他、スピンドルのラチェット歯と噛み合う小さなクリック(ツメ)とそのテンションスプリングがあります。
鎖引きの懐中時計のゼンマイを巻き上げる際、フュジーと香箱(ゼンマイの入っている円柱形の部品)を繋いでいるチェーンはスピンドルを「反時計回り」させることによって螺旋に巻きついてゆくわけですが、、、ゼンマイの反発力でスピンドル部分だけが逆転してしまわないように歯止めをかけるのがこのクリックの役目です。
ちなみに合体したスピンドル部分と歯車部分がバラバラに離れてしまわないよう、歯車部分の裏側には「ディスク状のストッパー」とそれを固定するクサビがあり、このクサビはシャフトに横方向から開いた穴に刺して固定する構造になっています。
さて、この「初期のフュジー」の装着された時計のゼンマイを巻き上げると、巻き上げの動作中、一時的に時計が止まっていて、巻いているカギの力を緩めると再び動き出すのに気付きます。
これはゼンマイを巻く動作自体が「時計の進行方向と反対向き」の回転・力になり、ゼンマイを巻き上げている間は一時的に動力が伝達しなくなってしまうからです。
考えてみれば、これはかなり「不都合な特性」ですね。
例えば、ゼンマイを巻き上げ始める前には表示時刻が正確な時刻にピッタリと合っている時計があったとします。
「おー、めちゃめちゃ精度いいなー」と大喜び。
ところが仮にゼンマイを巻き上げ終えるのに10秒かかったとすると、、、、巻き上げ後に文字盤を見た時には既に「10秒遅れ」を表示していることになり、、、「なんじゃーこりゃー???」となる訳です。
もっともこれは、普通は秒針もなく「正確な時刻」を知る術も必要も無かった時代のバージ式の時計に関しては大きな問題ではなかったでしょうが、、、厳密な精度の必要だった「天文台での計測」や、「航海において使用されるマリンクロノメーター」に関しては致命的な障害になった訳ですね。
そんな中、18世紀にイギリスの時計師「ジョン・ハリソン」は、巻き上げ中もフュジーから時計の進行方向に対して動力を送り続けることを可能にする「動力維持装置・通称ハリソンスプリング」を発明しました。
実に素晴らしい発明です。
そして主に19世紀に入ると、一般のフュジーウォッチにも当たり前にこの装置が搭載され始め、、、、以降フュジーの構造は少し複雑になります。
さて、今度は実際にムーブメント上で「香箱とフュジー」がチェーンによって接続された状態を見てみましょう。
フュジーのスピンドル部分の螺旋の最下部には、チェーンのフックを掛ける小さな溝とポストがあり、また香箱にも同様の目的の小さな穴が開いていて、それぞれちょっと違った形状のフックが引っ掛かるようになっています。
ゼンマイが全て解けている状態では、チェーンの殆どが香箱に巻きついており、反対にゼンマイが完全に巻き上げられた状態では大半がフュジーの螺旋に巻きついています。
ゼンマイが巻き上げられれば巻き上げられるほど、チェーンの巻きつくフュジーの螺旋の直径は小さくなり、時計が動き始めてから時間が経つにつれてゼンマイが解ければ解けるほどその反対に直径の大きな螺旋に巻いている訳ですね。
つまり「エンジン」である香箱にとっては、自分の力が強くて元気な時はチェーンを引っ張ってフュジーを回転させにくくなっていて、反対に疲れていて弱い時は楽に回せるようになっているため、、、結果的にフュジー以下の歯車に伝わる力はいつも平均化されるようになっているのです。
ちょっと混乱しがちなところですが、、、例えば自分自身でチェーンを引っ張るところをイメージしてみて下さい。
細いところに巻きつけたチェーンはいくら引っ張ってもなかなか回りませんが、太いところに巻きつけた場合は楽に回ります。
それでもイメージしづらい場合は、自動車のハンドルでも結構です。
ハンドルを小さくすると回すのに苦労しますが、大きい物にすると楽に回せますね。
いかがでしょう?
ところでこのフュジー、その「動力平均機能」は、先述した通り特に等時性のない、もしくは等時性が乏しい機械式時計にとって大きなメリットでしたが、、、何事も良いことばかりではありません。
いくつかのデメリットに関してもお話しましょう。
デメリットその1.
「オリジナルのゼンマイ(時計の製造当時に使用されたという意味)が切れたりへタッたりして交換せざるを得なくなった時、厳密に言えば新たなゼンマイのトルクカーブに合わせて螺旋の形状を加工し直す必要がある」
これはちょっと考えても大変なデメリットです。
当時使われていた鋼のゼンマイはいつ切れるとも知れないものですし、それぞれのゼンマイのトルク曲線を調べたり、それに合わせた螺旋の切削をするのは容易なことではありません。
場合によっては、苦労して螺旋の加工を終えて間もなく「交換したゼンマイが切れる」事もあり得ますから、、、天文台等で使用したクロノメーター等を除くと現実的にこのような処置を行った例は少ないでしょう。
もっともフュジーを使用した時計においても、高精度型になったクロノメーターやイングリッシュレバーにおいては脱着機に充分な等時性があるわけですから、動力が厳密に均等化されていなくても時計の精度に大きな変化は見られませんし、そもそもフュジーを使用していない時計の場合には、ゼンマイのトルク変化は全く平均化していない訳ですから。
デメリットその2.
「万一チェーンが切れた場合、鞭のような放たれ方をしたチェーンの一端によってムーブメントに損傷を与える」
フュジーの時計を巻いていてチェーンを切った経験のある方はそう多くないでしょうが、確かにその瞬間「チュイ−ン、パシッ」という音がします。
ただ、これは深刻なのはより大型のクロックやマリンクロノメーターなどの場合で、、ゼンマイのパワーが限られた懐中時計に関して言えば、今まで明らかにそれによる機械の損傷は確認したことがありません。
ちなみに私は整備中、フュジーに目を凝らしながらゼンマイを巻いていてチェーンを切り、「パシッ」とほっぺたに一撃を食らったことがありますが、、、幸い擦り傷程度で済みました。
チェーンに関して少々付け加えると、、、この鋼のチェーン、時計によっても違いますが、平均的に130〜140個くらいの「コマ」をリベット止めして作られています。
自動工作機械など全く存在しなかった当時、薄い鋼の板をひょうたん型に抜いた後、0.1mmとか0.2mmなどといった大きさの穴を開けてコツコツとリベット止めする作業。
パスタイムでも、切れた「チェーンの修理」の際に1コマ2コマ作って繋ぐことはありますが、、、本当に面倒な作業です。
もう一点。
実は17世紀の途中まで、フュジーと香箱の接続にはチェーンではなく「Cat Gut」と呼ばれる動物の腸から作った紐を使っていました。
もっとも「Cat Gut」といっても実際には猫の腸ではなく「羊の腸」だったようですが、、、これはやはりあまりに切れやすくて都合が悪く、その後チェーンに替わっていったようです。
デメリットその3.
「構造上、時計が厚みのあるものにならざるを得ない」
これは当然ですね。
19世紀に入ってからのフュジーウォッチなどにはかなり薄いものもありますが、どうしても螺旋を持ったフュジーを格納しなければいけませんから、特にある程度の厚み以下であることが好まれる「腕時計」などには向かない構造でしょう。
デメリットその4.
「通常の時計に較べて高コストになる」
「鎖引き」ではない時計と比較すれば、構成部品が増えるわけですからコストが上がるのも仕方ありません。
もっともこれは主に「製造・販売者」側にとっての問題でしょうが、、、一方で当時の時計が「一般市民」にとって高嶺の花であった一因にはなっているかもしれません。
最後に。
アンティークウォッチのファンの間で、とかく「鎖引きの懐中時計」や「フュジーウォッチ」とひとまとめに呼ばれるこれらの時計、実際には実に様々なものがあります。
例えば、当店で扱っているような商品の中でも、「1700年頃のバージ脱着機のカギ巻き懐中時計」と、「20世紀後期のリュウズ巻き(keyless fusee)の鎖引きイングリッシュレバー懐中時計」では、その外観だけでなく年代、脱進機、精度、と全く別のものと言って過言ではありません。
つまり、「鎖引きの懐中時計」や「フュジーウォッチ」という呼び方は、あくまでもその「動力の伝達方式」だけにスポットライトを当てたものですから、、、巷でよく聞く「フュジーの時計は精度が出ない」とか「鎖引きの時計は実用に向かない」という表現には間違いがある訳です。
正しくは「鎖引きのシリンダーウォッチ」や「フュジー付きのイングリッシュレバー」などと言うのがより正確な呼び方、と言えますね。
以上、「鎖引き」もしくは「フュジー」 に関して、より親しみをお持ちいただけたでしょうか?