時計の話
アンティーク時計の修復には、実に多種多様な道具が使われる。
「旋盤」 や 「フライス盤」 などの工作用工具は別として、、、作業台の上には、ピンセット、ドライバー、ルーペ、それからブロワー(チリ吹き)や油差しなどがある。
そして大抵の場合、その一番奥には 「タガネ」 がドンと居座っている。
これらの道具は、どれ一つとして 「なくてもいいもの」 がない。
例えば 「ピンセット」 がなしにヒゲゼンマイの整形を行うことは不可能だし、「ドライバー」 がなければネジを緩ますことも締め付けることも出来ない。
唯一、それが無くても分解組み立ての作業自体が可能と言えるのは、、、タガネくらいか。
無論代替品で間に合わせれば、、、精度の良い仕事が期待できないのは言うまでもないが。
このタガネ、時計用の軽工具の中では最も専門性の高い道具と言えるが、、、同時に使用に際してもっとも知性や理性の必要な道具と言える。
何故ならこれは主に部品を 「垂直に押し付けたり」 「叩いたり」 する道具だから。
ある部品にもう一つの部品を押し込む場合、、、タガネを押すのは指かハンドル。
一方で 「叩く」 場合は 「ハンマー」 を使う。
いずれの場合も、力加減は 「時計師のカン」 になるが、、、押し込む場合はまだしもハンマーで叩く場合はかなり危険。
地板や受け板の小さなホゾ穴(軸の回転する穴)などを力任せに叩けば一発で穴の中心が狂うし、、、天真を天輪にかしめ付ける場合など、天輪の腕を伸ばしてしまえば元に戻すことは出来ない。
つまりタガネは、どんなに状態の良い貴重な時計でも 「時計師の一撃」 によって台無しにする、、、そんな危険な道具でもあるのだ。
「こんな見当違いな所を思いっきり引っ叩いて、何考えてんだよー!!」
仕事上、今までそんな時計を無数に見てきたし、、、うちの連中もしょっちゅうブツブツ言いながら作業している。
「トントン」 「タンタン」
使っているタガネ、使っているハンマー、、、それからそれが置かれている作業台やそれを使っている職人もまちまち。
だから 「タガネの打撃音」 はそれぞれ微妙に違う。
自慢のタネにならないことは分っている。
しかし四六時中 「タガネの演奏会」 を聞き慣れている私には、、、オーケストラの指揮者よろしくそれが「誰の音」 なのか、目を瞑っていても分る。
タガネとは、そんな打楽器のような道具でもあるのだ。
ちなみに、うちの連中が皆それぞれ違うタガネを使っているのには理由がある。
それは、今スイスやドイツで作られている 「新品のタガネ」 が使い物にならないから。
新品だから金さえ出せばいくらでも同じものが揃えられるが、、、「ガラクタ」 を沢山買い込む気にはなれない。
これはかつて私自身何台も新品のタガネを買い込み、使ってみた結果思い知ったこと。
何しろ鋼の材質が柔らか過ぎるし、作りもちゃちな上、やたらと錆び易くて話しにならない。
だからうちの連中もみんな買い付け先のアメリカで必死になって 「半世紀以上も前のタガネ」 を探し回り、、、それぞれ状態の良い物を手に入れて使っている訳だ。
つまり 「昔のものの方が遥かに良質」 なのは工具も同じ、ということ。
時計だけの話しではないのである。