修理・レストア
NOTICE:This article written in Japanese.
1907年に販売された、パテックフィリップの20石(エクストラ)懐中時計です。
アーカイブによると、スイスよりアメリカにムーブメント単体で輸出され、フィラデルフィアの名門、ベーリーバンクスから販売された懐中時計です。
パテックのエクストラは、この数年、年間に数点ずづの割合しか入手しないモデルですが、その中でもハンター仕様のものは大変希少です。
オリジナルの針、文字板(文字盤)、ケースとも大変状態良好で、100年以上経ったアンティークウォッチであることを忘れそうです。
特徴のある地板です。
地板の一部分、受け板の乗るところを残して他は深く削り込まれた設計です。
パテックを始めとする多くのスイスにおいて、通常は地板と受け板の関係が反対です。
すなわち、通常は地板のフラットな面にL型をした受けが取り付けられるのですが、この場合そそり立った地板にフラットな受け取り付けられる設計な訳です。
これは、1889年に特許を取得されたジョイント式の巻芯です。
これは、機械をケーシングする際にいちいち巻芯本体を外さなくても良い、大変便利なものですが、残念ながら翌年には通常の一体型巻芯の特許が取得され、短命に終わったシステムです。
ツヅミ車と巻芯先端の受け(パイプ部分)の間にコイル型のスプリングが入っているのがお分かりでしょうか?
また、巻芯先端の受けは地板と一体成型のパイプではなく、がっしりとした鋼の別パーツでネジ止めされていますね。
これは、パテックに限らず、主に20世紀始め位までの上級グレードの手巻き懐中時計に見られるつくりです。
何百年か使って万一パイプが磨耗したら、また同じものを作って取り付ければ更に何百年も持つ訳ですから、特にこの部分の傷みが致命傷になる腕時計のクロノグラフをはじめ、本当は全ての手巻き時計に装備して欲しいシステムです。
ご覧の通り、アンクルの仕上げは見事の一言です。
パテックに限らず当時の高級スイスメーカーでも同一形状のアンクルがあるところをみると、アンクルだけを製造していたメーカーが存在していたことが推測されますが、時計メーカーでの最終的な仕上げの程度はまちまちなのです。
この写真では見えませんが、同じパテックでもエクストラグレードでないものの裏面はヘアライン仕上げですが、エクストラのアンクルの多くは裏面まで鏡面仕上げされています。
ちなみに、バランス本体とアンクル本体は裏側からネジ止めされています。
これはスイスのハイグレードアンティークウォッチの定番的な香箱回りのシステムです。
俗に言う「ウルフティース」の角穴車と香箱芯は鋼の一体成型で、先端には巻止め(ジェネバストップ)のフィンガーピースが圧入される角芯が見えます。
また、ゼンマイの内端が巻きつくリング部分は、巻芯にネジ止めされる設計になっています。
ちなみに、「ウルフティース」の角穴車は、実際の作動原理においては普通の歯車(サイクロイド歯車)と全く同じで、何となくガッチリ噛み合いそうに見えるのは単なる「視覚的錯覚」です。
そういう意味では実質的メリットは全くないのですが、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのハイグレードなスイス製懐中時計においては、ある種慣習的な仕様だったと言えます。
普段パスタイムでお話ししている通り、「ウルフティースでなくても素晴らしいスイス時計は沢山存在する。但し、ウルフティースの時計にそれほど悪いグレードの時計は存在しない」というのは、経験上、間違っていないと思います。
香箱に巻止め(ジェネバストップ)がセットされた状態です。
巻止めのクロス(歯車の方)が6枚歯なのがお分かりでしょうか?
その内一枚は先端が円弧になっていて、この歯がストッパーの役割をしています。
これは19世紀のパテックを始めとするスイス製の懐中時計に多く見られるセットアップで、歯車一枚を送るのに6時間、実質5枚分でおおよそ30時間(ゼンマイを巻き上げた時のストップの位置と解けた時のストップの位置が同一でないために、厳密に30時間ではない)、つまりこの時計の稼働時間は30時間な訳です。
同じパテックでもまちまちですが、おおよそ20世紀に入ってしばらくした頃のモデルになると6枚歯→5枚歯になり、一枚分の稼働時間が7.5時間になります。つまり7.5時間×4枚分=30時間で同じですね。
香箱(角穴車含む)、2.3.4.5(ガンギ)番車、それにアンクルがセットされた状態です。
この写真でも、アンクルの輝きが尋常ではないのが分かりますね。
同じものを斜めからのアングルで見たところです。
こうすると、いかにこの地板が分厚く頑丈な作りであるか、通常の懐中時計のものと違うかがハッキリします。
ちなみに、実際の組み立て工程では、このようにアンクルまで一辺にセットすることはありませんが、ここでは撮影の便宜上そうしています。
地板のダイアル(文字盤)側です。
全体にペラルージュ仕上げされています。
地板右上の、brevete1018 は巻芯システムの特許番号です。
天真の下の伏せ石の止め板が、2点のネジ止めのひょうたん型になっているのも少々変わっています。
最後にテンプです。
この時計のテンプはintegral balance wheel(完全無欠なテンプの意),いわゆる「ギョームテンプ」です。
普通のバイメタルテンプと比較して、輪のカットしてある位置がテンプの腕から離れているのが特徴ですが、これは同じギョームテンプでもミーンタイムスクリュー付きのものとそうでないもの(腕の線上にタイミングスクリューのあるタイプ)で若干位置が違います。
また、輪と腕の接点の形状も特徴的ですね。
通常のバイメタルの温度補正テンプは、真鍮と鋼の組み合わせでできており、これと鋼のヒゲゼンマイの組み合わせで優秀な温度補正機能を持っていますが、厳密に言うとあまり温度変化の激しくない中間温度帯での補正が不完全です。
これに対し、真鍮とanibal(鋼にニッケルを混入させた特殊合金)のバイメタルテンプを鋼のヒゲゼンマイと組み合わせると、この中間温度の誤差が解消されます。
先述の通り、このタイプのテンプはintegral balance wheel、もしくはanibalの発明者のギョーム博士の名をとってギョームテンプと呼ばれていますが、パテックに限らず他メーカーでもごく一部の超高精度型の時計に採用されています。
アーカイブによると、この時計は天文台コンクールに出品されたものではありませんが、実際に送られた物と同仕様です。
その他、今までパスタイムでは数十点のパテックエクストラを販売・整備しましたが、石数、テンプの伏せ石の種類(ダイアモンド・ルビー・サファイア)、ミーンタイムスクリューの有無、香箱の方式等、細かい部分では本当にいろいろなものがあることが分かっています。
また、同じエクストラ表記のモデルでも、より年代の古いものや小型のモデルなど、ギョームテンプの仕様でないものも存在しますので、エクストラ=ギョームテンプではありません。
完成しました。
何も言うことはありません。
美しいの一言ですね。
ちなみに、この時計は保証精度3秒以内/日で販売されましたが、整備後の精度試験ではいとも簡単にクリアしてしまいました。
恐るべきアンティークウォッチです。